霜柱標本室

佐倉誰と仲井澪の公開交換日記です。日記と短歌です。最低ひと月に一往復を目安に更新します。

2023.2.2〜2023.3.1(五往復め)

佐倉誰

2023.2.2
二月。私の誕生日も近い。寒い土地の真冬に生まれた私は空気が凍てつくほど綺麗になる、と自分で思い込んでいる。冷たい空気と一面真っ白な視界は清潔で、その真ん中に立っている自分まで存在が澄んでいくように感じるから。雪もお砂糖の粒もひかりを乱反射させるから大好き。どうしてこんなに胸が熱くなるんだろう。ただ光ってるだけなのに。光ってるだけのくせに。
❄︎
先月の日記で火が見たくて短歌を作った、と書きましたが、不意に訪れた「とにもかくにも燃えている火が見たい」という謎の衝動は、直後に生理が来たことで合点がいきました。ひと月経った今も生理になっていて、今度は、とにかく雪が見たい。雪なら窓の外に目をやればいいだけだから手軽ですが、本当はこんな住宅街のちいさい雪景色でなく、子どもの頃過ごした十勝の大平原に広がる雪と、宇宙まで突き抜けるような天の深い青さが恋しいのです。
年々衝動に身を任せる人生へ傾き、感情の落差に自分も周囲も疲弊させることが増えています。歌作においても、まとまった数をこなすとその日は疲弊して体が動かなくなります。本当に全身で感受性を増幅させないと、短歌に取り組めないのです。こんな極端な作り方をやめたくて、定期的に短歌を作り続ける媒体を設けることで歌作をスムーズにできるようになりたい、という気持ちもあり、仲井さんを誘って霜柱標本室を立ち上げました。実際「短歌の作り方を忘れる」状態にまでならないように留めることは成功していますが、あくまで「日記のために書き下ろした一首」でしかなく、連作の作り方は変わらないままですが……。
私は短歌を本格的に好きになった高校三年生のときからこれまで6年間、特に最初の4年間はほとんど実作をまともにやってきませんでした。自分で作って発表することの必然性をまだそこまで見出せていなかったのはもちろんですが、興味関心や気力が移ろいやすく根気のない、自分の悪い性質が要因として大きいです。この悪癖は今も基本変わりありませんから、モチベーションを見失わないための環境作りに必死でした。なにかに背を向けて一目散に逃げ出す快感を覚えてから、本当に失っては困る対象からも逃げてこなごなに壊してしまう失敗を何度も繰り返しました。もう二度とそんなことしたくありません。短歌は、何度いやになって離れても結局その楽しさから逃げることなんて不可能で戻ってきましたが、昔の私はそんな悠長なことをしていても一切焦ることはありませんでした。他の人より成長が遅いならその人より長く生きればいいじゃない、と自信たっぷりだったからです。ほとんどは汚れていても、ほんの一瞬でも、世界をこんなに美しく見せてくれる神様が私を愛していないわけがない、だから私は長く生きられる、と心の底から信じていました。むしろ死ぬ気がしませんでした。でも今は違います。いつか死にます。身近な人間の死に立ち会ったわけでもなく、急に、ああどうせ死ぬんだ と思うようになりました。そこから焦りの色を浮かべるようになったはずです。この交換日記を始めた時期がまさにそこです。短歌を頑張りたい。もう何年もやる気をなくしてうだうだしている時間はない。夢なんて叶うものは片っ端から叶えないと。衝動だけで動くのではなく、理性で続けることを覚えないと。そんな至極個人的な理由も打ち明けた上で快く受け入れてくださったので、仲井さんには本当に感謝しています。
自分にとって短歌の存在がどれほど大きいものか、説明しようとすると膨大になりますが、こんないつガス欠を起こすかわからないような危なっかしい状態で語られても説得力に乏しいだろうと思います。もっと実作を頑張ったうえで、しかるべきところで語れるようになりたいです。しがみつきたい。幸福で忙しくて全部どうでもよくなるまでは。

大丈夫 (みかんの花がさいている) どこまでも (おもいでの道) 行く

 

2023.2.27
唐突に文体が変わってびっくりさせてしまったのではないかと思います。ごめんなさい。筆が乗って、というかちょっと窮屈で、つい。あらゆる発露が窮屈でない瞬間なんてありませんが……という話を今回はします。
「何者かになろうとしている」、という言い回しが好きじゃないです。才能を認められたいとか、凡人のまま終わりたくないとか、その思考自体は身に覚えがあるので否定しませんが、揶揄の文脈が付きまとうのがよくないのでしょうか。「何者かになろうとすること自体が凡人の行動の典型パターン」、みたいな。人間を天才と凡人に二分化できると思い込んでいる傲慢さがまず気に入らないのですが、自他の実力を相対化するとなるとどうしても何かしらの尺度は用意したくなるので、ある程度は避けられないのかもしれません。それにしても解像度が低くてうんざりしますね。それで、前回の私の文章がまさしくその「“何者か”になろうと」みっともなく足掻いているようにしか見えないかもしれないと思うと、まあそれもそれで間違ってはいないですが、ちょっと違うんだよな、と引っ掛かりました。
私は中学生の頃合唱部に所属していました。地声が高いので自動的にソプラノチームに振り分けられましたが、実際は高い音を出そうとすると喉が締まってか細い掠れ声しか出なくなり、後輩たちからよく馬鹿にされていました。そのときの感覚に、今の状況はずっと似ています。出したい音が出せなくて苦しい。しかも、合唱と違って、自分で言葉をあれこれ手繰ったりほかの人の短歌を読んだりしていると、もっとずっときれいな音を出す自分の姿がはっきりイメージできる瞬間があって、諦められません。私の歯がゆさは自分の音域の狭さに尽きます。私の眼にはっきりと映っているたましいの大きさに、できている詩の脚力があまりに似つかわしくない。自分で自分の言葉を窮屈にさせてしまっている。子どもぶってはしゃいで振る舞って見せても、振り返してもらえる手が無くてただ虚しい。そういう焦りと渇望できりきり喉を締められています。
物心ついた頃から、蚊に好かれると噂されている血液型でもないのに周りの誰よりも血を吸われます。だから私は自分の血は人間のなかでもかなりおいしい部類なのだろうと信じていて、そんなふうに、私の魂もおいしいに違いないと思っています。別の存在においしく味わってもらえたらいいのになと考えます、痒くしないならいくらでも。
自分を抑えることがとても難しいです。自分自分自分。自分自分自分自分自分自分自分。ここまでかなり抑えてお行儀よく日記を書いてきましたが、もうそろそろ私もあなたも新しい生活が始まって日記や短歌なんて書けなくなってしまうかもしれないから、そろそろいいか、と思って緩めました。ここまで時間を割いて目を通してくださっている、熱心で稀有な読者の方が自意識の嵐にいま胸焼けされていないかと心配しています。ずーーーっと自分の話ばかりしてごめんなさい。交換日記はあまりにメンバー間での目配せが濃すぎると「個人間でやってろよ……」と思われてしまいそうだし、かと言ってそれぞれがひたすら独り言をまくし立てていても「交換日記にする意味は……?」となってしまうし、塩梅が難しいですね(ところで塩梅ってぜったい梅干しですよね)。言葉を交わし合うことよりも同じ次元でそれぞれのパフォーマンスを監視し合うくらいの気持ちでやっていたのだけれど、どうでしょう。私は他人に興味を持つとその人をとにかく自分に取り込みたくなってしまうので、ひとりの自立した別個人として尊重し合う経験に乏しいです。今こうして日記のやりとりができることが本当はとびきり楽しくて嬉しいのに、相手の日記の気になったポイントに打ち返すタイミングや量がかなり難しくて、いつも自己完結してしまいます(読んでくださっている方への裏話になりますが、実は相手の日記への感想はLINEで言い合って済ませたりもしています)。昔めちゃくちゃ口の悪い友達に「会話する気ないだろ、ずっと一人で喋ってれば?」と言われたことをだいぶ引き摺っていて、実際その通りなんですが、自分の殻の中でうにゃうにゃ姿かたちを変えている途中に外部とほんのりでも意思疎通が取れることを、今はありがたがっていたいです。あなたの芯の強さと懐の広さと柔軟さを信頼しているのでいつも体当たりです。とても助かっています。
最後に、最近は発言の説得力のことにずっと頭を悩ませています。私のように感情の移り変わりが非常に激しく、落差も大きく、そのうえ勢いばかり強い人間の文章は信用しにくいでしょうし、そもそも読んでいて疲れると思います。そのへんの手加減もいい加減覚えないとまずい……と焦っています、し、相対的に自分の短歌がいかに耐震性に優れているか自覚させられます。感情や衝動をそのまま文章にしても、一定期間置いて見返したら自分の中で嘘になっていると感じることがとても多いのに、一年前や二年前にそれなりの確信のもと作られた短歌は今見返しても“嘘”になっていない、と感じます。説明が難しいのですが、どんなに生硬で拙くても「この言葉には耳を傾ける価値がある」、と信じられるのです。発声する人と実際の感情との距離感なのでしょうね。
要するに、書こうとすればするほど「やっぱり私は短歌じゃないと……」と自分で自分を追い詰めることになっています。こんなつもりではなかったんですが。色んなことをゆるやかにしたいです。
雪解けの罅から湧きあがる青い喝采 たましいは4本足
 

仲井澪

2023.2.17

大学の図書館で書いています。今日は卒業者発表があって、結構ドキドキしていました、が無事卒業できるようで安心しました。所属してる感があんまりなかった……というのは同世代の共通感覚だと思うのですが、大学の空気感への馴染まなさをずっとうっすら感じていたので、これくらいで良かった気もします(受験生のころはなぜか自分の大学の学生は全員私と同じく大森靖子さんのヲタクだと思い込んでいましたが、実際は一人も出会わなかった、というほっこりエピソード(?)があります。正しかったらそれはそれでかなり嫌でしたが……)。
2/6~2/10の3泊4日で、卒業旅行でタイのバンコクに行ってきました。余裕がなく、帰ってから大分時間が経ってしまったのですが、以下、雑多な振り返りです。
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・小学生のとき以来の飛行機。ときどきある「平気でいられる自分が怖い」という感覚を顕著に感じる。歌舞伎町のTOHOシネマズで『ミッドサマー』をみたとき、「こんな映画をこんな人数が黙って見ていられるなんて」と思いながら、自分も同じように黙ることができていたことを思い出す。離陸しながら、図らずも、東京(?)の夜景を(東京にいられる残り時間が短い)今見られた、と、思った。JALにしたので機内食が豪華でうれしい。ドリンクサービスはビールも追加料金不要なのか気になりつつ、ビビってコーラを飲んだ。
・常に30度くらいあるっぽく、着いた途端とても蒸し暑い。でも日本の夏より過ごしやすい気がする(乾季だから?)。欧米の観光客が多い。時差は2時間。
・旅行中通底していた感覚として「解像度の低さ」がある。一番大きな要因はもちろん言語なんだろうけど、アユタヤの遺跡や有名な仏教寺院に行って説明を読んでも、タイで暮らす人にとってどのような存在なのかうまく想像できない。それと、観光地として栄えているところの周辺しか回っていないこともあるけど、良いと思える写真が全然撮れない。日本で、例えば私がTwitterにあげたら10前後のいいねがつくような”まちの写真”を取れるのって、日本と日本語への解像度が高いからなんだよな、ということを思う。タイで見るすべては私にとってあたらしく、でも強い衝撃を受けるほど想像の範囲外というわけではない、という感じで、街における皺みたいなものを全く読み取れなくて、歩いているのに遠い、と思っていた。そして「観光」をするとき、その国に対しても自国に対しても当事者的な問題意識を一時的に放棄してしまえる、みたいなこともぼんやりと考えた。
・とはいっても市街地や観光地の雰囲気は日本とあまり遠くなく、友達のお父様のお家にお世話になったこともあって、とても快適な旅行だった。何より料理が美味しくて、日本で食べるタイ料理より辛かったり癖が強かったりすることもなかった。やっぱりグリーンカレーパッタイは最高。ライチが乗ったココナッツアイスとか、スーパーで買ったマンゴーとかも、フルーツの全力、という感じで良かった。
・一緒に行ったゼミの友達とは、気が合うことはわかっていたけど、東京で2人で約束して遊んだこともなくて、水上マーケットを歩いて服やアクセサリーや犬や水上ハンモックを見ながら小学生のときの話をしたりしたのが、そういう時間があったのが良くて、とても覚えている。
・ずっと好きなキャラクターのマムアンちゃん(タイのイラストレーターが描いている)のドーナツ屋さんとカフェに行けたのも嬉しかった。ピーナッツバターシェイクという飲み物が、意外と甘さがちょうど良くて落ち着く味だった。ショップで買ったランダムステッカーパックに、「死ななくても生まれ変わることはできる」と添えられたステッカーが入っていて、iPhoneケースに入れている。
・夜中、友達とベランダに出て夜景を見た。近くの家の庭で犬が2、3匹動いているのが見えた。「街の建物のそれぞれがコンセプトも新旧も違いすぎて、 目に映るすべてが自分のものだ、って妄想ができないね」みたいな話をした。
・最終日は8時頃出発して、日本時間の15時頃に成田空港に着いた。東京に雪が降った日だったけど、既に雨に変わっていて少し残念だった。上野駅までおそらく初めて京成スカイライナーに乗った(行きはバスで空港まで行った)のに、旅行の余韻でぼーっとしてたらあっという間に着いてしまった。
・数日で少しずつ人にお土産を渡した。自分用に買ったタイティーが烏龍茶と紅茶の間のような感じでとても美味しい。なにげに楽しみにしていたタイのキャラメル「ガラメー」(ココナッツが主原料)は、「美味しいと感じられるコンディションのときに食べたら美味しい」という評を得て、本当にそうだな、と思った。自分の実家にちゃんと、ちっちゃい木彫りの熊とか金属製の大仏とかがあったの良かったから、ちっちゃい象買えばよかったな。思い出すための過剰なマーカー。日本円で800円くらいの、襟が大きくて真っ赤なブラウスを洗濯したら、一緒に洗った真っ白のブラウスが薄ピンクになってしまった(製品が悪いのではなく私の雑な洗濯が悪い)。
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あまり長居しなかったのもあってすぐにいつもの生活に戻ってしまって、本当に外国に行ったのだ、という気がまだあんまりしていない(じゃあもうしないでしょ)のですが、とても楽しかったです。4、5年以内くらいにはまたどこかに行きたいです。

宮殿のような建物は本当に宮殿で ずっとは居られない

 

2023.3.1
タイに行ったかと思えば、今度は1週間前から普通自動車免許取得のために島根県に免許合宿に来ています。昨日仮免が取れて、路上教習を頑張っているというところです。普通に、速すぎて、軽すぎて、怖いです……。
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交換日記の塩梅の難しさは確かに感じていて(塩梅はぜったい梅干しだし言わずもがなは最中だし揚げ足取りは手羽先だと思います)、私も、前回の東京編からタイ旅行記までかなりひとりで突っ走ってしまったのですが、交換したい、と今回は思ったので佐倉さんの2月の日記を踏まえてのことを長めに書きます。
とはいえ、「夢なんて叶うものは片っ端から叶えないと。」「しがみつきたい。幸福で忙しくて全部どうでもよくなるまでは。」「色んなことをゆるやかにしたいです。」という言葉、佐倉さんの書く内容や文体にある背骨はもう確かに屹立しているように思うので、結局、ほとんど自分の話になると思います(引っ張られるように開示するのではなく、書きたいことだけ書きます)。
私は、私にとって短歌がどれくらい大きい存在なのかということが、まだほとんど分かっていない……はっきりと「短歌」そのもの(そのもの?)が「大きい存在である」とは言えない、ように思います。大学2年のときに、何か新しいことを始めたい(より正確に言えば、新しいコミュニティに所属したい)と思い、ふと高校生のときに買って途中まで読んでいた『桜前線開架宣言』が面白かったことを思い出して、学生短歌会に興味を持ちました。まず驚いたのは歌会というシステムでした。絵を描いたり自由詩を書いたりして人に見せるという経験はあったのですが、初めて歌会に参加したとき、率直に、「こんなに大量のフィードバックを貰えてハマらないわけないだろ」みたいなことを思いました。それに加えて、先輩方がとても楽しそうに様々な角度から短歌の話をするのがかっこよくて、「短歌は楽しいものなんだ」と、教わりました。しばらくは、自分が歌作にまつわるあれこれをどうドライブしていいのか(したいのか)が分からず、先輩の歌作のペースとか、「どうして新しい歌集が出て嬉しい歌人がいつのまにか共有されているのか」とかを、愚直に聞いていた記憶があります。そうしていたらいつの間にか、よく反芻する短歌が増えていて、歌集の刊行情報に同じように喜ぶことも増えました(これは少し怖いことだと思います)。
そんな無責任な意識に反して、短歌を書く上でのこだわりはかなり強いと自負していて(「書かなければ生きていられない」という意識のすぐ近くで自由詩は書いていたので、その延長上にあるのだと思います)、佐倉さんの言う、「短歌の相対的な耐震性」のようなことを感じることもあります。だから私には、「自分の短歌への主体性に対する留保」と、「実作における心身の入れ込み」が同居していて、それでバランスを取っているところがあるような気がします。とはいえ後者について、悩むことは何度もありました。逡巡の詳細を省くので、抽象的な話になってしまうというか、明快な結論はありません……。でも少なくとも、読まれることを覚悟した矜持があれば「どれくらい自身を賭けたり削ったりして短歌を書くか」ということに善し悪しはないと、今の私は(自分のためにも)思っています。そして、充血するくらい見つめれば見つめるほど、同じように短歌や読者に見つめ返してもらえるということは、たくさんの製作―評価のバリエーションの1つとして確実に存在します。そこに作者が(私が)続けるエネルギーを貰えるのならば、そのやり方を保つ方法を短歌以外の生活も含めて考えればいい。離れてもいい。もし長い間離れたとしても、また作り始めれば眺めて、投げ返してくれる人が1人はいるだろうから、と思えるとき、短歌のコミュニティの、嘘でもはっきりと見える輪郭をありがたく思うのです。佐倉誰さんも自分も含めて、これからずっと、いつでも見つめ返す準備をしていようと思う歌人が何人もいて嬉しいです。いつもありがとうございます。

揺れながら留まっている眼差しが私を崩す下敷きの風