霜柱標本室

佐倉誰と仲井澪の公開交換日記です。日記と短歌です。最低ひと月に一往復を目安に更新します。

2023.12.23〜2023.12.30

佐倉誰

2023.12.23
ミスタードーナツの看板の英字が点灯する瞬間を見れたのでこころが少し上を向きました。日記を書きます。
 
暴力のことを絶えず考える日々が続いている。自分が消費側に立っているとき、生産者の罪は「消費者がこれまで享受してきたものと矛盾している」ときだけ致命的になると思う。だからたとえば一人のアーティストが違法薬物所持で逮捕されたとして、誰も加害していないその人の楽曲に規制がかかるのはちゃんちゃらおかしいと感じる。これが仮に、同じアーティストであっても罪の種類が未成年への性犯罪で、制作している楽曲が主に未成年の少女設定のアイドルたちが歌唱する自由や夢や希望についての音楽だったとしたら、規制されて然るべきだと思う。作り手の実情と制作物とが完璧に矛盾するからだ。作品に罪はある。
私の感覚の話でしかないけれど、仮に上部の人間が殺人を犯して逮捕された飲食チェーンがあったとして、すでにその人物が裁かれてるなら私は変わらず利用するだろうと思う。でも、企業が現在進行形で殺人に加担し続けているのを知りながら利用するのは共犯関係になるから嫌。この場合企業が大きければ大きいほど自分の口に直接入るものとの関係性は遠く感じるから、個人でどう線引きするかは自由だと思うけど……。そういった裁判を生活しながらいちいち個人の内で繰り広げないといけないのは、当然ではあるけど普通に大変だし厄介だなと感じる。それを他人に説明する場面なんかあったらなおさら。
暴力の話の本題に移る。私が映画鑑賞に苦手意識を持っていた頃に映画好きの友人が一緒に観てくれて苦手意識が払拭されたから、タランティーノ監督のいくつかの映画作品に特別な思い入れがあって、短歌連作のタイトルにしたこともある。以前日記でそのことに言及したから、ハマスと交戦中のイスラエル兵士を軍事基地で直接鼓舞した当該監督について説明する責任があるかなと思ってこれを書いている。ある物語を愛好している人がその作者のプロフィールや背景や思想を必ず把握していなければいけないとは全く思わないから、知らずに好きでいた時間を恥じることはないのだけど、この先改めて視聴することは絶対に無いだろうなと思う。知ったあとの私は制作者と共犯関係を結びたくないからだ。物語で展開される鮮やかな犯罪行為や復讐劇は痛快で、私たちの胸を晴らし、ときには勇気づけて生きる気力を与えてくれる。それは「現実の暴力を肯定しているわけではない」という当たり前の前提を作り手と観客の間で共有しているからできることのはずで、本気で人間を殺してもいいと考えている人の描く暴力描写には一銭の価値もない。暴力は暴力を否定する人にだけ描く資格がある。
私はどちらかといえば暴力と縁遠くない人生と性格で生きてきたので、今後の人生で何度比喩表現でなく他人に殴りかかるかわからないし、この文章も読む人が読んだら心底馬鹿馬鹿しくて鼻で笑われると思う。だからこそ書く必要があった。自分の加害意識に気づくことと開き直ることは違う。私は自分の味方含めて、なんなら味方であるほど強く、人々を例外なくすべて憎んでいて、なるべく直接暴力を振るいたくて、壊れる余地があるものは全部壊したくなるのだけど、そういった直球の加害欲として立ち上がってくるものの根底にある目的や願いは破壊と真逆である場合がほとんどなので、感情の解像度を早急に上げなくてはいけなかった。殴ってはいけないし殺してはいけない。暴力を振るえば絶対的に私が悪い。衝動に身を任せた暴力は非常に爽快で気持ちがよく、その気持ちよさはこの世で最も軽蔑されるべき憎むべき快楽にほかならない。限られた環境の赤児以外が愛だけで生きることはきっと不可能で、直視すれば気の狂うことで世の中が溢れかえっていても、深い恐怖や怒りにはきっと正しい矛先と落としどころがある。
尊敬している人たちの真似をして、できる限り正しく生きたい。私が傷害罪でしょっ引かれることがあったら絶対に皆さんで後ろ指さしてください。約束ですよ。
 
私が“公開交換日記”と謳いながら日記上で会話のキャッチボールが少なかったのは、他人とのコミュニケーションが苦手だからという身も蓋もない理由だけでなく、感情がいちいち重い自覚があるので第三者に見られるのが普通に照れくさかったからでもある。でも今回は一年経った記念ということでしっかりお礼を書き記して表明したいと思います。
 
澪ちゃん一年間どうもありがとう。あなたの人生の充実を心から応援し、生活の喜びを心から言祝ぎ、精神の安寧を心の底から祈ります。今年は私に余裕がなくてできなかったことばかりで申し訳ないのだけど、来年は喫茶店でも居酒屋でも植物園でも美術館でも春夏秋冬の公園でもどこでもよいので、落ち合って楽しいことをしましょう。佐倉誰は仲井澪を信じ、敬愛し、託し、支持します。もったいぶって大袈裟なことを書いたけれど、これまでずっとやってきたことです。この先もよろしくお願いします。

マフラーの下には首ったけの首 聞くより見たほうが早いかもね
 

 

仲井澪

2023.12.30
2週間くらい前、大好きだったマムアンというキャラクターの作者が、女性に性的暴行をしていたというニュース(本人も事実と認めて謝罪しているが、日本のメディアでは記事になっておらず、日本に向けた本人のSNSでもなにもコメントが出ていない)を知って、私はすごくショックを受けていました(います)。マムアンがのびのび動いて人生をエンパワーしてくれる「女の子」のキャラクターで、佐倉さんが書いているような矛盾が、作者の在り方と作品の間に生じているということも、ショックが大きい要因だったのだと思います。それに加えて、今回の件で「私はここまで思うタイプだったんだな」と気づいたことなのですが、非倫理的なことを(思考に留めるのではなく)行動に移してしまうくらいの人物の作品であれば、知らずに享受していた私も、無意識にそのエッセンスを取り入れてしまっているのではないか、みたいな恐怖や、なんで感知できなかったんだろう、みたいな自分への呆れがありました。それは実際に切り取って論証できるような要素でなくても、です(同時に、私は別に潔癖ではないから「よくないことをいっぱい考えるけどよくないことと分かって踏みとどまる」ことができる作者の作品がきっと1番好きだし、じゃあ思考と行動の距離ってそんなに遠いの?とか、倫理/非倫理の境界ってそんなに強固なの?とか、ぐるぐる考えもするのですが)。これくらいのことを思う消費者がいることを作者は分かっておいてほしいし、自分も分かっていなければ、と思います。

イスラエルによるパレスチナ民族浄化に抗議します。読み進めている『イラン・パペ、パレスチナを語る─「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』を帰省先にも研修の宿泊先にも持っていくことにしています。歴史はかなり苦手ですが理解しやすくて読みやすいです。スタバやマック等は意識して買わないようにしているのですが、先日プレゼントとして受け取る機会があり笑顔で受け取ることしかできませんでした。山形だと代替できるお店が少ないこともあると思うし、他の面でも社会運動の資源の地域格差みたいなことをよく考えていました。
仕事に関わる勉強でセルフケアについての本を読んだりするのですが、本当に心と体を気づかうための心持ちとか行動として書かれているものなかに、世界でこういうことが起こって、とか、自分はこういうスタンスでいないといけなくて、みたいなことがないことになってるんですよね。でも、心身に負荷がかかって苦しんでいるたくさんの人と接している臨床のカウンセラーが書いているからこそ、そういう内容になるのはそりゃそうだし。なんだか私はどこかで、個人が矛盾に苦しむことなく健康に生きられるための指針を、生きていればワンセットでインストールできるんじゃないかみたいな呑気な意識があって(それが恵まれて育ったからだということは当然今はわかるのですが)、実際には、それを信じているひとりひとりが用意した膨大なものから、選んで身体に詰めていくしかなくて、結局どうバランスを取るかなんて教えてもらえなくて、それに加えて選べるものの何倍もコントロールできないことがあることに、いまだに全然ついていけてなくて。だって難しいですよね、みんな難しいって思ってないとおかしい……結論はないんですができることをしながらしばらく生きる想定でいます。

佐倉さん、一年間ありがとうございました。佐倉さんと交換日記を始めることができて、一年間続けることができて本当に幸せです。佐倉さんの文章はヒリヒリドキドキもするけど私にはとても安心して読めます。これからもできるだけ続けられたら嬉しいので私も頑張ります!よろしくお願いします。そして、2024年は絶対に北海道に遊びに行きます!今決めました。旅行記をここにも書くので待っていてください!生きて会いましょう♡

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音が大きい音楽のひとはみんなすぐ子宮とか言う 白くないのに