霜柱標本室

佐倉誰と仲井澪の公開交換日記です。日記と短歌です。最低ひと月に一往復を目安に更新します。

2023.1.4〜2023.1.18(四往復め)

佐倉誰

 

2023.1.4
明けましておめでとうございます。初日記です。年末年始はひどい空気の中で過ごし、日記に書けるようなことが本当に何もないので、とりとめのない自己開示を並べます。

・子どもの頃から、満腹のときとお風呂から上がったとき、心臓がぎゅーーっと締め付けられて心細くてたまらなくなる現象が起きます。「怖い」と「さみしい」が豪速で吹き抜けて、すぐに通り過ぎて行くかんじです。単に脈拍の増加や体温の変化を脳が勝手に恐怖心などと勘違いしているだけだと思いますが、人に言っても共感を得られたことがなく、ちょっとさみしいです。最近は特に、満腹になると心臓がドキドキするだけでなく体調を崩しやすくなるので、特に外出時はお腹がいっぱいにならないように気を遣っています。
・初めてのバイト先のことを、折に触れて思い出してはセンチメンタルになります。全然仕事ができなくて苦しかったし最終的にはクビになってしまったけど、生まれて初めて自分で働いてお金を稼いだ場所、という一点で神聖化されているように思います。そこで熱々のオニオングラタンスープをこぼして負った右手首の火傷のあとは、もうほとんど見えなくて垢が溜まった汚れみたいに煤けていて、でもまだ、どこにあるのかわかります。もうあのお店で給仕したりお酒を作ったりすることは二度とないし、当時の私と今の私の全身の細胞はすっかり入れ替わって違う人みたいになっているはずなのに、残っていてくれてありがとう。

痛くなくても火傷痕/作っては忘れるでたらめなパスワード

佐倉誰「てへぺろ進言集」

それと、二年前の春に寝不足が続いてひどい風邪をひいてから、それまでずっと低体温だったのに疲れるとすぐ微熱を出す体に変わりました。平均体温なんて一生変わらないと思っていたのに。あらゆる不可逆の積み重ねでここにいる、ことを最近は強く意識します。これまでは、その時々で違う私になっているのだから今の私は常に生まれたてだ、という思想のもと、世界はじめまして!私の体と人生にはじめまして!の状態で新鮮にこの世と触れ合っていた/触れ合うようにしていたのですが、どこまで行っても自分は自分でしかないことに気付いて、はじめてこの場に座り込みました。人生が動いている。

網をたぐれば金の罠 片道で足りる切符は最後に残す

 

2023.1.7
正月休みが明けてから、前よりは調子が良くて嬉しいです。性根がすっかり卑屈に萎びてしまってからはあんまり素直に浮き足立つことができておらず、ハレの日の空気感は肩身が狭かったのかもしれません。職場で年始の挨拶を交わすのは好きなのですが。
吉澤嘉代子の「鬼」の歌詞の中に「はじめてさわった手に戻ってよ」という一節があり、初めて出会ったときに「下の句だ……しかもめちゃくちゃうまい……」と感激した記憶があります。その後に吉澤嘉代子が短歌をかなりお好きらしいと知り合点がいったのですが、この一節、本当に、こころのやわらかい部分にひと足で切り込んでくる居合の達人みたいなキラーフレーズだと思っています。

過去にだれともであわないでよ

若いきすしないでよ

今 産まれてきてよ

/今橋愛

上記の今橋愛の代表歌のパワーを、面食らわない程度にいじらしさで包み込んでちょうどよく提供されている……もちろん全体の歌詞も曲自体もたいへん素晴らしいのですが、特にこの一節のことを昨日からずっと考えています。大好きな人を自分だけのものにしたい、という傲慢さを「女の子の嫉妬心」というラブリーなパッケージで包んでいても、芯の切実さで嫌味を感じさせないというか……もちろん切実ならなんでもいいわけじゃありませんが。穿った言い方をしすぎているでしょうか。考えなしに絶賛することを避けるとどうにも塩梅が難しくなります。
短歌の中に実際に存在する歌の歌詞を盛り込む、というある種の本歌取りはときどき見かけますが、というか本歌取りに対しても、読んだ人にその人が自分で考えたフレーズだと思われてしまう可能性がゼロではないなら少なくとも私は作りたくないな、と考えているのですが、この「はじめてさわった手に戻ってよ」に類するような切実さといじらしさとのバランスは、ちょっとやそっとじゃできない……気がします。そう思いたい自分がいます。実際にできるかどうかではなく、それくらいかけがえのない価値のあるものとして扱いたいということかもしれません、急に意識がメタになってしまいました。このへんにしておきます。
今日はなんとなく火が見たい日でした。大森静佳のヘクタールを最高のタイミングで読むためにずっとあたためていたのですが、一時間こまぎれにべそべそと泣いていたら「今だ!」と天啓が降り、香水をつけたくまのぬいぐるみを抱きしめながらゆっくり読みました。いくつか短歌を作り、画像にまとめてツイッターでアップしました(10首あるのでよろしければご覧ください)。ヘクタールの悠々とした空気を受けて意識的にしっとりした作風でやってみたのですが、私にはあんまりしっくり来ませんでした。もっと跳び回るような短歌が好みです。

提灯がこころをひとつ転がって焼かれた道に歌が生まれる

今回の日記は特に主観がうるさいですね!しばらく書かないでいるうちに日記が下手になった気がするので頑張りたいです……。今年もよろしくお願いします。

 

仲井澪

 

2023.1.11
あけましておめでとうございます。3年前くらいに買ってずっと冷蔵庫の奥に入っていたかき氷シロップの賞味期限が2022年3月だったのですが、2022年3月の賞味期限を見て、過ぎてるって思えないな……と思います。
今春大学を卒業したあとの就職先が47都道府県全国転勤で、私はおそらく東京を離れることになります。最近はそのことをずーっと考えています。東京に住んだ4年間がエモーショナルな思い出になっていくのだろうなということ。東京に関するエッセイ集を5月の文フリとかで出せたらなと思っているのですが、さすがに色々バタバタしていて難しいかも……まえがきだけ用意してあるので、自分に実現の期待をこめて、めちゃ長いのですが転載してみます(読んでくれたら嬉しいですが読み飛ばしてもらっても大丈夫です)。

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2021/12/5

昔、父親に東京に連れてきてもらうたびに何かにショックを受けていて、帰ってお風呂に入りながら、「東京に住むことはできない」と思っていたのを覚えている。初めて行ったときは確かホームレスの人の多さにショックを受けて、次の記憶は中野駅前で人の頭から垂直に血飛沫が出ていてみんなが一斉に駆け寄る風景と、その後に入った中野ブロードウェイのドールショップでみた大量の眼球、まんだらけの店員が着ていた、裸の幼女のキャラクターが描かれたTシャツで、でも今では中野は一番好きな街ということになっているし、東京に住むようになってから人の頭から垂直に血飛沫が出ている光景は見たことがない。今は、帰省した時の宇都宮駅前大通りでの方が嫌な思いをしたり、する。

東京に憧れはあるけど別に特別な感情はなかったし、同時に今でもずっと特別な感情を抱き続けている。

同じことで同じ立場の人が同時に争っている場所の方が怖くて、東京だからといって劣等感や無力感を感じたことがない、だけど部屋の中に居続けていても私は確かに東京に住んでいるのだろうし、Twitterには行こうと思えばすぐに向かえる場所がたくさん流れている、流れている、流している、

日当たりの良い公園がたくさんあることとか、少し足を伸ばして県外に行った時の、こんなに短い時間でこんなに違う風景を見られるのかという驚きがたのしい、表参道を歩く人々のほとんどが私には

東京について語る全てが過剰に東京を特別なものにしていく様が羨ましいから、東京に住んでいてうれしいと思う。

2022/10/12
「東京について語る全てが過剰に東京を特別なものにしていく様が羨ましいから、東京に住んでいてうれしいと思う。」……だからといって、私がそれに加担する必要があるのか分からないと今は思う。もっと本当の話をしたい(でもこうやってこだわっているのがもう、)。
栃木県の宇都宮市に住んでいて、中学生くらいから1人で東京に遊びに行ったりしていたから、「上京」という言葉はそこまで切実ではなくて、なにがあるのか、どうなっているのか、それなりに分かっていた。「Z世代は青春に終わりがあることを、その只中に知ってしまっている」みたいな言説があるけど、私は同じように東京の輪郭をある程度知っていたし、実際周りを見てもそんな感じで、「上京」が広くリアリティを持つ時代はもう過ぎたんだと思う。
かつての私がショックを受けた事象は今でも確かに発生していて、でもそれは背後を勝手に推察してショックを受けたと書くべきことではないし、宇都宮駅前大通りでの「嫌な思い」(自分が被害を受けた)と全く並列して語るべきことではなく、この類の反省は確実に自己の成長によってしうるものなので、去年の12月から今を、生きていてよかったと思う。
大学1年の頃から、文京区の茗荷谷という地に暮らし始めて4年目になる。経済的に裕福な家族と学生ばかりの街で、下町情緒みたいなものはなくて、あんまり東京をレペゼンするような場所ではない。私は長い時間を狭くて暗い部屋で過ごしながら、時々、半径2キロほどの東京ドームで野球の試合や名だたるアーティストのライブが行われていることを思ったり、立地の良さを活かして実際に色んなところに行ってみたり、をそれなりにしながら、鬱屈したりフッ軽と言われたりの4年間を……。
メインストーリーの敷けない4年間を、私が暮らしていたことや訪れた場所のこと、1人でぐるぐる考えていたことを、私は私のために特別に、分かりやすくないまま特別にとっておくために、記録しておきたいと思った。

/いつか発行されるかもしれない東京についてのエッセイ集より
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今日はその、中野ブロードウェイを久しぶりに訪れました。「サブカルの聖地」です。地下1階から4階までフロアがあって、天井が低い古びた建物に、まんだらけとか、アンティークショップとか、時計屋さんとかがぎっしり……とは言っても水曜日ということもあり、記憶よりシャッターが閉まってるお店が多かったです。稀風社の冊子が買える「タコシェ」も、オリジナルファンシー雑貨の「Spank!」も入れなくて悲しかった……。それでも、心なしか不安になるその空間がやっぱり好きで、地下一階のクレープ屋さんで、連れ回した人とかぼちゃクレープを食べて、幸せでした。佐倉さんの1月4日の日記を読んで、私も「毎朝世界初見状態」と思っていたので、佐倉さんの「人生が動いている。」という言葉で、心底のブルドーザー(?)が動いた気がしました。意識の仕方は違うけど、そこにいて関わった人や場所があって、私にしかできない東京の愛し方を今している。この先すべての場所にこうあれたらいいと思います。
一昨年の末につくった連作「縫いしろ」から、一首改作です。

秘密だよ たまに光って見えるときすごく光ってくれる東京

今年もよろしくお願いします。

 

2023.1.18
午前中は、来月予定している卒業旅行のためのパスポートの手続きをしに、池袋のパスポートセンターに行きました。池袋駅から歩くと片道でトータル20分強かかるところにあるのですが、写真のサイズに不備があり、その場で撮り直す時間はなかったので出直すことになってしまいました。でも、取り返そうと思って帰りに買って歩きながら飲んだ、タロイモココナッツミルクタピオカ(?)がとてもおいしかったのでよかったです。
午後は、昨年12月にお友達と行った陶芸体験のところに、焼き上がった陶器を引き取りに行きました。釉薬の色がとても綺麗に出ていて、お互いの作ったもののうち1つを交換できたのもとても嬉しかったです。特に気に入る出来だったのはお茶碗です。月みたいじゃないですか🌕 
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それとそのお友達がサプライズで、川柳作家の柳本々々さんとイラストレーターの安福望さんによる日記本『バームクーヘンでわたしは眠った』を贈ってくれました。川柳と日記とイラストが全ページフルカラーで載っていて、装丁もとてもかわいい本です。気に入ったページから引用します。

日曜日にふさわしい目 あなたといる
(中略)
わたしたちはあとどれくらい長生きするかの話をする。どれくらいのひとと別れたかも。そのひとの話はじめて聞いたかもね、とあなたは箸でハムをとりながらいう。ラーメンのなかにハムが入ってたんだ? そうだね。あなたといる。
/柳本々々「6/10」『バームクーヘンでわたしは眠った』

その本の内容に相手を、相手と私のことをどうしても重ねる……好きな本を贈ってもらえるってものすごいことですよね。前向きに躊躇ったり踏み込んだりしながら静かに話し続けることのできる人の存在を最近とてもありがたく思います。
そういうものを大切にしながら、糧にしながら、自分は自分のやり方でかっこよく世界に挑んでゆきたい1年です。戦いだから……。

手を繋ぐことから逃れられなくて痛々しいほど月の物真似