霜柱標本室

佐倉誰と仲井澪の公開交換日記です。日記と短歌です。最低ひと月に一往復を目安に更新します。

2022.12.1〜12.26(三往復め)

佐倉誰

2022.12.1
泣いたあとに深夜のキッチンで食べる杏仁豆腐おいしすぎる とツイートしようとして、やっぱり日記にしよう、と踏みとどまってこちらに書いています。前回から食べ物の話が連続してしまってすみません、私は食べることに特別な感情があるんです(好き、と屈託なく言うことにはちょっと抵抗があります)。
太宰治の「人間失格」のエピソードに、下宿先の娘が泣きながら自分の部屋に入ってきた時、柿を剥いて手渡して食べさせ、本を貸してやると気を取り直して部屋を出て行った、というシーンがあります。泣いている女には甘いものを手渡してやると機嫌を直す、という彼の経験則が続いて弁明され、初読の私はずいぶん舐められたものだと憤慨したものですが、泣きそうな気持ちで甘いものを口にする体験を何度も重ねた今、物言いが鼻持ちならないだけで言い分はあながち間違いではない……と考え直すようになりました。癪ですが。
甘いものが好きです。ケーキや焼き菓子やつめたいお菓子、基本なんでも好きです。お菓子のコンセプトとして「食べてこころが温まるように」などに類するものを時々見かけますが、私の思想は逆で、口にすることでさみしさが胸の奥ではっきり形をもつような気がするから、好むようになりました。焼きたてのお菓子はまた別ですが、甘いものを食べるとこころが涼しくなります。実際、上白糖に体を冷やす効果があるからかもしれません。泣きそうなとき・泣いているとき・泣き終えたときに舐める蜜は平常のそれより格別に甘く感じて、とびきり癖になります。何もなくてもうっすら悲しい日々が何年も続いている私は、砂糖の記憶がどれも感傷でコーティングされてきらきら歪にかがやいています。感傷が砂糖を、砂糖が感傷を、互いに輝かせ合い甘美な記憶へ仕立て上げているのだと思います。グロテスクですね。自己陶酔みたいなことをおおっぴろげに言うもんじゃないかもしれません。
過去の自作にも、甘味はよく登場しています。

ドーナツの砂糖が紙を透かしてく速さ 仕込み刀 無問題

/「♪(initialized)」

頭のうらにへばりついてる万国旗パフェスプーンで掻き出さなくちゃ

/「降霊」詩歌の焚火創刊号所収

それから、あなたの日記にあった「流浪の月」の、ガムシロップを大量に入れたコーヒーで眠らせるくだり、謎です。ミルクや紅茶なら寝る前に飲むイメージがありますが、どうして眠る前にわざわざコーヒーを……?と思ってしまいました。私はカフェイン耐性が脆弱で、コーヒーどころかカフェオレ一杯で心臓がドキドキしてしまう(そのドキドキを利用して短歌を作ったりします)ので余計に。眠る前に甘いもの、定番なのかしら。生活リズムが狂ってしまったのは気の毒ですが、ケーキがおいしそうでちょっと羨ましくなってしまいました……。ごめんなさい。

みみずくが遠くで雪に落ちる音 お砂糖に踊らされてパーティー

あなたがたくさん眠れますように。それから卒論が無事終わりますように……。頑張っていて本当にすごく偉いです。根を詰めすぎず、終わったらなるだけぱ〜〜〜っとしてください。

短歌の話をします。我妻俊樹さんがツイッターで連載されていた「今月の5首」が、今年の12月で最終回だったことが残念です。毎月楽しみにしていました。二年間本当にどうもありがとうございました。

天井に天国の絵が描いてある 勇気が君を寝かせる前に

/我妻俊樹「雪」今月の5首(2022.12)より

ため息が出ます。上の句はシスティーナ礼拝堂の天井画のような荘厳なものを思い起こさせるようでいて、さっぱりとした把握がテーブルの裏に描かれた子どもの落書きのような稚拙さ、良い意味で高級感のない神聖さを連れてきます。そして「勇気が君を寝かせる前に」の圧巻の下の句!先に触れた子どもや年少者の存在感を醸しつつ、年長者/保護者(に近く見える存在)の愛情深い眼差しによって、絵本や児童書の書き手が読者に語りかけるような記述になっています。なにより、寝かせるものが「勇気」であることの驚きと、不思議な納得感。今日の自分、をここで閉じて、明日の自分、へ推進すること。まだ見ぬ世界に自分を託すこと。それは確かに、「君」を寝かせるのは疲れや眠気やホットミルクなんてなまやさしいものではなく、「勇気」でしかありえない、と思ってしまいます。そして、明日へ旅立つ前にカットインするのが素朴な神性である、一首の構造の美しさ。なんてやさしくてまっすぐで広々とした良い歌なんだろう!!と泣いてしまいそうになりました。一生かけても辿り着きたい。我妻俊樹さんの短歌を読むと、短歌を好きになってよかったなあ……としみじみ思えます。もっと頑張りたいです。

 

2022.12.5
あなたの11月26日の日記への応答が不十分だったので補足します。

(前略) 素敵っぽいことが並んでいるのを後から読むと、後ろめたい気持ちになります。こういうことは、私が私のねちねちした生活に健康な外部性を取り込むためにやっていることだから、と、言わなきゃいけないという思い込み。書かなかったもののことを、私は私で愛しているから誰にも知られなくてもいいと、言える自信がまだありません。

ここ、激しく共感しました。共感、は正しくなくて、実際私の場合は後ろめたさなどの形では現れないのですが、「生活に健康な外部性を取り込むためにやっている」の一節で膝を打ちました。それです。一人でひっそりと書く日記ではこうはならなくて、特定/不特定多数の誰かに見られる前提だからこその“生活のブラッシュアップ”は必然的に存在します。公開する日記を書く(書かなくてはけない)ことと、現実の生活と、双方向に影響を及ぼし合っていることが少し怖くもあり、それこそあなたの言う「健康な外部性を取り込む」ようなことが成功するなら、非常に有益でもあると私は思います。でも、後ろめたくて(私含む)読者に正直に弁解したくなってしまうあたり真面目だなあと思って、読んでてにこにこしました。
霜柱標本室の名前が決まったとき、私はこう書きました。

解けていく今日の私たちを、少しでもこの世に留めていきましょう。踏んづけてはだめです。踏んづけないように。

ここに確かに存在する自分を忘れたくない気持ちと、早く忘れ去りたいような気持ちの、自己愛のバランス。私は日記も短歌も「忘れたくない」の気持ちの強さでずっと愛していた側面がありますが、今は本当はもっとずっと消極的な別の理由で書いているかもしれません。ここで書くと最終回みたいになってしまうので、またいつかきちんと話せたらと思います。
 
今日ついに手袋を解禁しました。手首のところにポンポンがひとつ付いてるだけの、シンプルなブラウングレーのミトンです。内側の触り心地が本当にうさぎみたいにふわふわで、手に意識を向けるとなんにもなくても嬉しくなります。お気に入りです。季節ものを解禁するとわくわくしますよね。
それから、帰り道の話。冬はマスクを着けていると眼鏡がとんでもなく曇ります。前がほとんど見えなくなるくらい曇ってくるのですが、眼鏡についた水滴が光を屈折させるおかげで、電灯はオレンジ色の光輪を、車の白いヘッドライトは虹色の光輪を放って、まっしろな視界が花火だらけになります。夢みたいでした。夢みたい、なんて頭打ちな比喩を安易に使ってしまうのも悔しいので、今日はこれを短歌に……と思いました。

渾身のこの世の檻が 冬花火 わたしをまっしろに閉じ込める
 

仲井澪

2022.12.24
朝の5時半です。22日に卒論を無事提出することができて(それでかなり日が空いてしまいました 佐倉さん応援していてくださり本当にありがとうございました……)、23日の夜に宣言通りぱ〜〜〜〜っとお酒を飲んで眠ったら2時前に目覚めてしまい、今まで起きて書いています。今日は、日記を書けなかった間にあったことを少し振り返ろうと思います。
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東銀座のIG Photo Galleryで24日の今日までやっている、大島渉(大島智子さんと山本渉さんのユニット)個展「多摩多摩」を、2度観に行きました。
大島智子さんは、初谷むいさんの第一歌集の装画も描かれている方で、私が中学生の頃からずっと好きなアーティストです。前回渋谷で個展をされていたとき、私はちょうど受験生で行けなかったことをすごく悔やんでいたので、東京に住んでいて、足を運べることが本当にうれしいです。多摩地域周辺の郊外をモチーフにした写真やイラストで構成された展示で、大島さんの描くイラストは、人物の物憂げな表情は残しつつ色づかいの温かみが増しているように感じたり、以前よりも盗み見ているような気がしなくなった、みたいなことを思いました。同時に、社会全体の傾向としてもあり、同時に当然自分のテーマにもなっていた「生活をやっていく」みたいなこと、をせざるえないことへのある種の諦念みたいなものも明らかで、とても分かるなぁという……うーん、展示について書くのって難しいですね……。描かれている人物のポケットからスプラトゥーンのチャームが出ていたり、ドローイングに謎のメモが添えてあったり、そういうひとつひとつに心を撫でられます。(この段落を書く途中でもう一度寝てバイトに行く、を挟んでおり、今東銀座のドトールにいます、ので、このあと3度目を観に行きます)
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大切な子と日比谷公園のクリスマスマーケットに行こうとしたのですが、人が多すぎて列に並んでも入場できるかわからなかったので泣く泣く諦めました。帰りがけ、公園の前の大きな横断歩道にスマホが落ちていて、轢かれて粉々になる未来が見えたので拾って交番に届けました。落とし物を届けるのは初めてだったんですが、おまわりさんに、「別に持ち主が誰とか知らされなくてもいいよね?」「あなたが誰ってことも伝えなくていいよね?」とまくしたてられ、大変なお仕事なんだな〜と思ってウケました。交番までの途中の道で見えた「オムライスとケーキ」という看板が魅力的すぎて、そのお店に入ってオムライスとケーキを食べました。食べながら、年末に一緒にケーキを作る約束をしました。

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卒論提出6日前に、「追い詰められてる時に行くライブほど最高なものはないでしょう……!」という気持ちで、大好きな魚住英里奈さんという歌手の方のライブを観に行きました。魚住さんの書く詩と歌声、強くて伸びやかで隙がなくて、安心して衝撃を受けられるんですよね。この日は特に、「宇宙一歌が上手いのでは……」と思う、いいライブでした。

この街は優しい国だから傷付けても大丈夫 

人は離れて行くだけさ

/魚住英里奈「袖に隠したチョコレート」

大久保にある「ひかりのうま」というライブハウスだったのですが、ここも本当に好きで、地下の暖かい空間でいつもラムのカクテルを頼みます……。
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せっかくクリスマスの時期にターンが回ってきたのにあんまりクリスマスのこととかが書かれない日記……。もうすぐ今年が終わりますね。今日一緒にギャラリーに行った社会人1年目のお友達と、「私たちは色々ある年でしたよね〜」「何もない年ないからね〜」という話をして、良かったです。何もない年も何もない日も何もない時間も一個もなかったからこうしてる。

キューピッドあなた の知らないことをまだ 話せる私の運の生涯

 

2022.12.26
今日は卒論執筆中の皺寄せをどうにかしよ〜と思い、大量のペットボトルを処分したり洗濯を2回したり、肉のハナマサで調達したものでミートドリアを作ったりしました。洗濯を2回する過程で壊れた洗濯機に200円吸われました。ハナマサに合い挽き肉が置いてなくて店員さんに聞いたら「今作れるみたいです!何グラムくらいですか?」と聞かれ、生活力がないので自分が何グラムほしいのかわからず、パニックになりながら勘で「300くらいですかね……」と伝えたら、ちゃんと欲しかった量が用意されて安心しました。
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12.1の日記を読んで、以前から感じていたことではありますが、佐倉さんは日本語を綺麗に使う(慣用表現とかを自分に手繰り寄せつつ、ニュアンスの重みを残しながら使う)人だ、と思いました。甘いものが好きというところの文章、隙がなくてかっこよい……。ちなみに『流浪の月』で、甘い珈琲を飲ませて眠らせているのは、青年が珈琲店を営んでいるからでした。確かに変ですよね。私も寝る前は基本カフェインを避けるようにしています。
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11.26の日記に触れてくださりありがとうございます。にこにこされている☺️ より詳しく書くと、私は日記を書いていても書いていなくても、自分の行動が「やりたくてやっている」ことなのか「やりに行っている」ことなのかが分からないことが多くて、それが鬱陶しいので過剰に素敵っぽいことを「やりに行っている」ところがあります。それが日記として読まれたときに、「この人は根っからこういう生活をできる人なんだ」となるのが怖い、という感じでしょうか……。もっと「やりたくてやっている」と自信を持って言えることを増やしたいのですが、分からないことばかりです。
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眼鏡が作る花火、見えたことないかもです……私は基本コンタクトなのですが、気になります。手持ち花火のおまけでついてる、花火の光が全部ドラえもんの顔になる眼鏡を思い出しました(伝わるかな)。北海道はきっと雪が積もってるんですよね、全く解像度の高いイメージができない。冬の雪国、とても行きたいです。私は手袋が行方不明でまだ出せてません( ; ; )
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私は明日がバイト納めで、29日には宇都宮の実家に帰ります。大晦日にはここ5年ほど、きのこ帝国というバンドの「ラストデイ」という曲を聴いています。年末と世界の終わりを重ねた美しい曲なので、ぜひ聴いてみてほしいです。少しでも多くの人があたたかい年末年始を過ごせますように。

Empire State Building お祭りで掬った金魚がまだ生きている